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ルソン助左衛門のブランド化戦略

イノベーションの時代

戦国時代は、イノベーションを起こした起業家たちにあふれている。
あの時代に有徳者や豪商といわれた大商人たちは、それまでになかった新しい商品、サービス、商売のやり方を編み出したという点で、ほとんどがイノベーションの達人たちである。
彼らは、現代よりはるかに生々しい生存競争のなかで、死に物狂いで新しい商売を生み出していた。
そもそも日本で「商業」が起こったのは室町から戦国、江戸初期の約200年の間。とりわけ戦国時代後期の市場経済の拡大は、ビッグバンのごときだ。
それまで近畿の一部都市をのぞけば日本全国、ほぼ物々交換、自給自足の経済だったのが、燎原の火のごとく地方都市まで貨幣経済、商品経済が浸透した。
人間の手で作り出せる商品やサービス、商売のしくみは、あの200年間でその原型が登場したのではないか。
戦国時代はイノベーションだらけの時代。有徳者や豪商たちは、新しい市場を創造したアントレプレナー(起業家)たちなのだ。

南蛮貿易(16-17世紀、狩野内膳画の南蛮屏風より)
南蛮貿易(16-17世紀、狩野内膳画の南蛮屏風より)

希代のアントレプレナー

ルソン助左衛門こと納屋助左衛門は、かなりユニークな戦国時代のアントレプレナーである。
同時代を生きた堺の豪商、今井宗久や津田宗及などが、時の権力者である信長や秀吉と結びついて流通を支配して商勢を拡大したのと比べると、助左衛門は権力者と結びつくというより権力者をたぶらかして大儲けした。
あげく、東南アジアに雄飛して日本から消えた。
それだけをとりあげるとアジアを股にかけた大詐欺師にも見えるが、「呂宋壺」という現代でも茶の湯の世界で珍重されるブランドを残していった。つまり400年以上つづくブランド商品を生み出した希代のアントレプレナーなのも確かなのだ。
ちなみに呂宋=ルソンは、現フィリピンの当時の国名、地域名である。

異常な高値

呂宋壺は「茶壺」、茶葉を保存する壺である。初夏に摘まれた新茶は、茶壷で寝かされて11月ごろ「口切」という行事のときに石臼でひいて抹茶にする。
呂宋壺は、今日でも茶事でお目にかかれる。
色合いや風合いに確かに優れたものを感じる壺もある。が、大半はそれといわれなければ、その辺で見かける壺となんらかわらない。そのありふれた壺の想像を絶する高値に、ほとんどの人は信じられない思いをする。
秀吉のころ、日本に来たヨーロッパ人たちが呂宋壺の高額さに驚愕したというエピソードが残っている。

呂宋壺イメージ

1597年、長崎に入港したイタリア商人は、1万円もしないだろうと思った壺が5億円くらいになる、いや、場合によっては10億円くらいになると聞いて目が飛び出るほど驚いたのだが、そんな話はだれにも信じてもらえないと思って自国へのレポートに書くのをためらった。
ところが、船が長崎に着くや、秀吉の代官たちが乗り込んできて、呂宋壺を探し始めた。「隠している者は死刑にする」と言われて、腰を抜かした。イタリア商人は、そのときのエピソードとともに、土くれにしか見えない呂宋壺の高額さを本国に報告した。
信じられない壺の話は、こうしてヨーロッパにも伝わった。

ブームの新規性

呂宋壺ブームの底流には茶壺ブームというのがある。
中国の釉薬のかかった壷は古くから珍重され、十六世紀を通じて茶の湯愛好者である数寄者といわれる人々の間で高額で取り引きされた。釉薬のかかった呂宋壺はその茶壷ブームの掉尾を飾るものだった。
「茶の湯」ブームの絶頂期と重なったことも影響している。
秀吉の時代から江戸初期にかけてが、その時代である。
当時の大名や豪商はもとより、地方の武士や商人にまで流行していた。茶人たちは、大量にしかも高額で呂宋壺をこぞって購入した。呂宋壺を持つことが、ステータスだった。
日本史上初めてブームになって売れまくった高額の趣向品だろう。
輸入元のルソンでは、その種の壺がなくなったというのだから、当時の海路輸送の困難さとその量の多さを考えると尋常ではない。
呂宋壺は突如市場に現れ、いきなり高価な値段で全国的に取引された点で、それまでの日本には見られないパターンの人気商品だ。

呂宋壺の仕掛け人

呂宋壺ブームの背後には、仕掛け人がいる。
なぜなら、底流として茶壷ブームはあったとしても、ルソンの人々が生活用品として使っていたありふれた壺が、ただ日本に持ってきただけで、そんな短期間で高価なブランド商品に化けるのは無理がある。
情報化社会といわれる現代でさえ、新しい商品が口コミで自然にブランド化するには時間がかかる。
たとえ周到な戦略と広告宣伝活動によってブランド化を画策しても、多大な費用と時間がかかるのだ。
素朴な情報伝達手段しかない当時の社会で、口コミだけで短期間に呂宋壺がブランドになるのは困難だ。
であれば、呂宋壺を新しいブランドとして短期間で確立させた仕掛け人がいる。それはだれか、どんな仕掛けがあったのか。

『太閤記』に挿入された商人エピソード

秀吉の事績を顕彰する目的で書かれた軍記物、小瀬甫庵という人が書いた『太閤記』のなかに、おもしろいことに一か所だけ、商人が主役として登場するエピソードがある。「呂宋より渡る壺の事」の段である。
『太閤記』は1620年代の著作だが、エピソードは1594年の出来事だ。甫庵はエピソードの年は30歳、当時は豊臣家二代目の関白・秀次に医師として仕えており、エピソードの現場にはいなかったとしても、秀吉情報をほぼリアルタイムで知ることのできる立場にいた。
エピソードはただの創作ではない。
以下はその「呂宋より渡る壺の事」の段を現代語訳したもの。
文中の「真壷」というのは形や壺表面の釉薬の具合などから中国製とみられる茶壺の呼び名で、呂宋から輸入された真壷が「呂宋壺」とよばれる。
実際、そのころルソンに存在した壺は、おそらく何百年も前に中国から生活用品として持ち込まれた中国製の壺と考えられている。当時のルソンではその種の壺は生産されていなかったからだ。

呂宋より渡る壺の事-『太閤記』巻十六の一段
堺の納屋助右衛門という町人が、去年の夏、台湾や呂宋に渡り、文禄三年七月二〇日(1594年9月4日)に帰朝した。その時の堺の代官は石田正澄だったので、助右衛門は正澄を通して唐傘とろうそく千本、生きたじゃ香二匹を秀吉公に献上し、お礼申し上げた。
さらに五十個の真壷をお目にかけたところ、秀吉公はことのほかご機嫌で、大坂城の西の丸の広間に壺を並べさせ、千宗易などにも相談して、上中下の値札をつけさせ、所望する者はだれでも選びとれと仰せになった。
これにより希望の人々が西の丸にお伺いし、値札にしたがって五、六日のうちにほとんど売れてしまった。
残った三個を持ち帰りたいと正澄に納屋が申し上げると、秀吉公は、その代金を与えて残りの壺三個を取っておけと仰せられたので、助右衛門は金子をちょうだいした。こうして助右衛門は五、六日のうちに徳人となった。

17世紀『国花万葉記』挿絵
17世紀末に著された『国花万葉記』の挿絵。手前でひれ伏しているのが助左衛門。二匹の猫のような動物が「生きたじゃ香」。台に乗っているのが呂宋壺。

衝撃の呂宋壺展示即売会

大坂城主催の呂宋壺の販売は、当時の人々には衝撃だったろう。
そのころの大坂城は、全国の大名・武将、豪商、文化人、芸能人、豊臣政権の武士たちが出入りする日本随一の巨大施設、イベント会場でもあった。しかし、それは秀吉が天下統一を実現したから初めてできたことで、いわば国会議事堂に呂宋壺展示即売会場を設けたようなものだ。全国の権力者、有力者が多数集まる展示即売会というのは、日本史上初だろう。
また、売上高は現在の金額で数百億円規模だったとみられ、一つの展示会でこれほどの額というのも日本初だったろう。
さらに、値札をつけて不特定多数に売るというやり方自体が、対面販売が当たり前の時代、画期的な販売方法だったはずだ。
三井高利が江戸の越後屋で現銀掛値なし、現代の定価値札=正札のようなものを呉服につけて不特定多数に売るという新しい販売方法で成功したのは、十七世紀末である。それまでは掛値、つまり対面販売で値切られることを想定して初めは高値を言って交渉を始めるので、値札をつけるというのはめずらしいことだった。アフリカでは、いまでも値札をつけずに日用品が売られている所も多いというから、値札販売というのはわりと最近の話なのだ。
呂宋壺は上中下の値札をつけて販売したというから、ある程度販売価格に幅をもたせていたのだろう。正札販売とまではいかなかったが、展示即売会で値札販売というのが画期的だったのは間違いあるまい。
呂宋壺展示即売会が衝撃的だったのは、『太閤記』でほかに商人に関する記事が一つもないことが雄弁に語っている。著者の小瀬甫庵には、秀吉時代に起こった出来事のなかでどうしてもはずせない印象的な出来事だったのだ。

助左衛門の実像

呂宋壺展示即売会に登場する堺の納屋助右衛門は、ルソン助左衛門の通り名で知られる海商、いまでいうところのプレイングマネージャー型の貿易商である。
1978年のNHK大河ドラマ『黄金の日々』の主人公となり、松本幸四郎が演じて人気を博したことでルソン助左衛門の名を知る人は多い。覚えている人は、2016年の大河ドラマ『真田丸』のなかで松本幸四郎が助左衛門役で出てきたのには、脚本家の三谷幸喜さんの粋な計らいを喜んだことだろう。
このルソン助左衛門、その名が知られている割には謎だらけである。というか、ほとんど何もわかっていない。
わかっていないが、「ルソン=呂宋=現フィリピン」助左衛門という通称が示しているように、ルソンと貿易をして、「呂宋壺」で大儲けしたというエピソードだけが知られる。そのエピソードとは、『太閤記』の呂宋壺展示即売会にほかならない。当時の記録はほかに何もない。
1世紀ほど後に助左衛門が登場するいくつかの書物があるが、すべて『太閤記』エピソードの写しである。寺社の言い伝えにもいくつかエピソードはあるのだが、真偽がよくわからないだけでなく、助左衛門の商売ぶりを示すものは見当たらない。
要するに、助左衛門の商売を知る史料は『太閤記』だけなのだ。

垣間見える助左衛門の発想

拙著の『戦国イノベーション―たくましき海商ルソン助左衛門の時代』では、『太閤記』の検証をした。
呂宋壺展示即売会の信ぴょう性についてだ。
結果、「千宗易などにも相談して」という部分以外は、ほぼ史実であろうという結論である。千宗易とは千利休のことだが、文禄三年にはすでに亡くなっていてこの世の人ではなかった。
しかし、著者の甫庵が勘違いしていた可能性もあるのだが、その場に利休はいないとしても、「相談して、上中下の値札をつけさせた」のは事実を反映しているのではないかと思う。
助左衛門は、呂宋壺展示即売会以外ではその名がどこにも出てこない。堺の史料にも、朱印貿易関係の史料にも、である。その他、大名家や商家の古文書にもいまのところ名が見当たらないことから考えれば、彼が秀吉と接触したのは、呂宋壺展示即売会の時期だけだろう。それ以外は、海外と堺の間を行き来していたと考えるのが合理的だ。
『戦国イノベーション』で記したのだが、私は千利休とつながりのあった助左衛門が、利休の茶の湯における高名を利用して呂宋壺ブームの仕掛けをした――と考えている。
いまであれば、有名人を広告宣伝につかって商品をブランド化する類の仕掛けは当たり前に見られるが、そうした発想を実行にうつした商人は、助左衛門が初めてではなかっただろうか。

※戦国イノベーション関係の記事は「FaceBook 戦国イノベーション」にもあります。

社会の舞台裏3/3

•外からシンプルに社会を見る
•社会は欲求の交換システム
•社会のルールから生き方を読む

社会のルールから生き方を読む

社会を律する幻想ルール

私たちの欲求が社会を動かしているのは間違いないとしても、一人ひとりが欲求をそのまま自由奔放にかなえてよいなら、社会はまたたく間に野生動物の世界にもどってしまいます。
逆にいえば、社会には野生動物の世界と同じにならないようにするしくみがあるということになります。

人とライオンの日常生活の違いは?
人とライオンの日常生活の違いは?

上は、左がどこにでもある“人”の日常生活、右が“野生動物”の代表選手のようなライオンの日常生活。
人もライオンも欲求を満たそうと日々をおくっているのは同じ。にもかかわらず、両者の日常生活には異次元の壁があるのが見てとれます。
明らかに、人の社会は弱肉強食とは異なる秩序で動いています。ライオンの集団にも本能的な秩序はありますが、別次元のものであるのは写真を見れば一目瞭然でしょう。
何がどうちがえば、この差が生まれるのか。
それは、私たちがただの“人の集まり”ではなく、「頭のなかにある社会」あるいは「言葉のネットワークで意味を与えられた社会」のなかで生きているからです。その頭のなかで意味を与えられた社会が採用しているルールにしたがい、私たちは生活しているわけです。
ライオンは、物質的、無機的なリアルな世界とじかに向き合っています。ライオンから見れば、人は頭のなかの実体のない幻想世界でリアル世界を覆い、幻想世界のオキテにしたがって生活している、ヘンな存在に見えているのかもしれません。

コミュニケーションイメージ3頭のなかのルール
コミュニケーションイメージ3頭のなかのルール

2方向のルール

社会のルールは、抑制と促進という2つの方向性を持っています。
秩序を乱す人を排除する「抑制ルール」、秩序に貢献する人を尊重する「促進ルール」、この2つが秩序をつくる両輪です。
より多くの人の欲求をかなえられるように社会が進化してこられたのは、2つのルールがブレーキとアクセルのようにして社会をコントロールしてきたから。
歯車のたとえでいえば、抑制ルールは、社会の動きをさまたげる歯車を修理したり、排除したりするための基準。促進ルールは、社会の動きを活発にする歯車に油をさしたり、より適したポジションに配置したりするための基準ということになります。
抑制ルールは、倫理、道徳、法律などの社会規範。
社会的な制裁をあたえ、一定の行動を禁止して社会をコントロールします。
「人を殺すな」
「盗むな」
「だますな」
といった、刑法に書かれているものから、弱い者をいじめるな、公共の場を乱すなといった、どこにも書かれていなくても、慣習的に人々の心を律する倫理や道徳です。

発展を促すルール

刑法に抑制ルールがあるなら、よく刑法に対比される、民法や商法などの法律には促進ルールがあるでしょうか。あるいは、経済の活性化のために政府が行う金融政策は、人々の欲求をかなえるものなら、促進ルールといえるでしょうか。
基本的には否。
ここで考えているルールは、頭のなかにあって人が自らしたがう基準を指すからです。
多くの法律や政策は、行政のアクションプラン。法律や金融政策をつねに心にとめて動いている人は、その関係者だけでしょう。
ただし、刑法や民法のかなりの部分は、人が自然にしたがっている慣習法を明文化していますから、抑制ルールや促進ルールといえます。
民法のなかの促進ルールとは、たとえば、「契約は意思表示の合致によって成立する」「成年に達しない子は親権に服する」「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない(信義誠実の原則)」といった、民法を知らなくとも普通の人なら当たり前にしたがっている規定です。
ちなみに、民法の規定は、社会常識で生活していれば、おおむねそれを保護するようにつくられています。

「ものの見方」がルールをつくる

私たちは個々のルールをいちいち覚えずとも、それらがどのようなものの見方から生まれているかを理解してさえいれば、臨機応変にルールにしたがった行動を自然にとれます。行動のたびにルールをチェックする人はまずいないでしょう。
実際、刑法や民法を知らなくとも、一般人が法に触れない生活をしているのは、ルールを生み出している精神、つまり、ものの見方を身につけているから。
抑制ルールの萌芽は、人類が集団生活をはじめた新石器時代、1万年以上前までさかのぼれるでしょう。
「人を殺すな」「盗むな」「だますな」といった抑制ルールは集団生活の維持に必須です。
はじめ慣習的に社会を規律していただろう抑制ルールが明文化されたのは、わずか数千年前。「目には目を、歯には歯を」のハムラビ法典は紀元前1800年ごろ。
その後、哲学や宗教の発達とともに、抑制ルールを説明する原理として「人を尊重する」といったものの見方、価値観が生まれたと考えられます。
もっとも、ルールが先かものの見方が先かは、いまの私たちの人生には無関係です。
現代人は、生まれたときから「人を尊重する」ものの見方のなかで育てられ、考えずとも、「人を殺すな」「盗むな」「だますな」を当たり前のこととして生きているからです。
もちろん、当たり前にしたがえない人も少数いるわけですが、そうした人を抑制するためにこそ、ルールやものの見方が歴史のなかで醸成されてきたわけです。
さて、では促進ルールのものの見方とは何でしょうか。
答えは民法に書かれています。
「信義誠実の原則」(信義則)がそれです。

ものの見方とルール
ものの見方とルール

人生を左右する信義則

信義則というものの見方、原理は、私たちの人生に重大な影響をおよぼします。
じつは、この「社会のしくみ―社会の舞台裏」を書こうと考えた最大の理由は、信義則が人生や社会のなかでもっとも重要であることを述べたいためでした。
刑法などの抑制ルールは、その名のとおり、社会活動に対して消極的で、社会のマイナス面・暗黒面への対症療法のような働きをするものです。
決して社会を活性化し、成長や進化を目的とするルールではありません。
抑制ルールは、社会の萌芽期、「殺されては困る」「盗まれては困る」といったさし迫った状況から生まれてきたものでしょう。
抑制ルールの指導原理になっている「人を尊重する」というものの見方も、社会を活性化するという点ではあまり意味がなさそうです。
人を尊重するというのは当然として、問題はその先、現実にお互いの欲求がぶつかり合うような状況に直面したとき、どう解決していくのかです。
「信義則」というものの見方は、社会を拡大、発展させる原理として社会の萌芽期から採用されつづけています。お互いの欲求がぶつかり合うような状況をバランスよく解決し、発展的な方向を目指す原理として、その内容を洗練させてきたとみられるのです。

社会のあるところ信義則がある

社会が形成され始めたころ、人と人がコミュニケーションによる結びつきを深めるにつれ、信義則にかなったやり方が自然に生まれていたのはたしかです。なぜなら、コミュニケーションは、信義則がはたらかなければ深まらないからです。
奪おうとする人が多い“人の集まり”では、コミュニケーションは深まりようがありません。盗人と、だれがコミュニケーションをしたいと思うでしょうか。
コミュニケーションは、“物々交換”の広がりとともに深まりをみせ、言葉や概念の発達を促したことでしょう。
物々交換は、相手への信頼が前提です。
相手が持っていて自分が欲しい物を得るために、相手がほしがっている物と交換する、「たったそれだけのこと」に見えますが、これは相手の物を奪わないという相互の信頼でなりたちます。
コミュニケーション・信頼・物々交換、これはセットです。
セットが初めて成功したとき、人は信義則の扉を開いたのです。
山の民が毛皮をもってきて、海の民の干し魚と交換する、ここにはお互いの品物への信用や自分の物を奪われないという信頼があります。
信義誠実の原型です。
そうした信義則によって結ばれた人の集まりが“社会”となり、その社会のなかで信義則に反する者を排除するために抑制ルールが生まれてきた、それが真相ではないでしょうか。

社会で生きるための原理

信義則は、現代社会でも活きています。
いまでも社会を発展させる原理でありつづけています。民法はいうにおよばず、政治や経済でも、ビジネスでも人間関係でも、です。
圧倒的多数の人は、一生、刑法的な抑制ルールのお世話になることはないでしょう。すくなくとも抑制ルールに反しない程度には、当たり前に「人を尊重する」ことができるからです。
であれば、私たちが優先課題とすべきは、信義則の具体的な姿を知り、実践することではないでしょうか。
もちろん、抑制ルールのものの見方「人を尊重する」も大切なのはいうまでもありません。「人を尊重する心があるから、相手に対して信義をつくし誠実に応じる」ともいえますから。ただ、信義則をよく知らなければ、人を尊重することの具体的な意味も、そして本当の意味もわからないのではないかと思います。
信義則、信義誠実に相手に応じる、この原理は具体的に人生のどのような局面でどのように発揮され、人生にどれほどの影響をもたらすのか・・・このテーマについては、項をあらため、「(仮)社会で成功するための基本と原則」という別タイトルで取り上げます。

社会の舞台裏2/3

•外からシンプルに社会を見る
•社会は欲求の交換システム
•社会のルールから生き方を読む

社会は欲求の交換システム

欲求がなければ始まらない

私たちが動物と同じ欲求を持ち、それをかなえようとする存在であることは、社会を理解するための基本のきです。全ての人の活動は欲求から発しているのですから。
食欲、睡眠欲、性欲、好奇心など、ほかの動物と共通する本能的な欲求。さらに、それらの欲求を社会のなかで間接的に満たすための金銭欲、名誉欲、権力欲、自己実現欲といった社会的な欲求。
それら全ての欲求を、私たちは社会のなかでほかの人と関係しながら、コミュニケーションによってかなえようとします。

コミュニケーションイメージ2自我のエネルギーは欲求
コミュニケーションイメージ2自我のエネルギーは欲求

欲求こそは行動のエネルギー。本能的な欲求と社会的な欲求が一人ひとりの人生を歩ませ、それが大きなうねりとなって社会を動かすエネルギーとなっています。

欲求の歯車が社会を動かす

欲求と社会の関係をシンプルにイメージする1つの方法は、一人ひとりを歯車にたとえてみることかもしれません。

欲求の歯車で社会をイメージ
欲求の歯車で社会をイメージ

一人の歯車を動かす力は、その人の欲求。欲求をかなえるために、一人の歯車はほかの人とのつながりをもとめます。
一人の歯車がうまくかみ合う歯車をもとめて出会いをくり返すうちに、いくつもの歯車がつながってネットワークとなる、ネットワーク同士がかみあってさらに大きなネットワークの一部になる、そうしたネットワークが集まって“社会”全体が動いている、というイメージ。
もっとも、人は変化するので形を変えられる歯車、あまり歯車の形を固定してイメージしてもよくないでしょう。
私たちはコミュニケーションを通じて多くの人とつながり、欲求をかなえようとします。そうした一人ひとりの欲求実現の行動が歯車のように連動して社会全体が動いています。
欲求というエネルギーに焦点を当てれば、複雑に見える社会の動きも、すっきり見える部分が多くあります。

ベクトル化すれば正体が見える

社会のしくみを理解するには、いくつもの角度から社会をイメージして、その働きや傾向や原理を総合していくことがポイント。
総合することによって、「外から社会を見る」で述べた社会の概念がたしかな中身になるからです。
たとえば、欲求を“ベクトル”として見るのも1つの角度。歯車のたとえとは、またちがった社会のありさまが見えてきます。

from金沢工業大学「KIT Mathematics Navigation」
from金沢工業大学「KIT Mathematics Navigation」

Aという人の政治的な欲求、この場合“傾向”という言葉のほうがわかりやすいでしょうか。Aの政治的傾向をベクトル a 、Bという人の傾向をベクトル b とすれば、a+b=c という二人を総合したベクトル c は二人1組の政治的傾向を反映しています。
同様にして、一人ひとりのベクトルを総合してできる社会全員のベクトルは、いわば“社会ベクトル”です。
社会ベクトルには、社会全体の傾向が反映されます。
たとえば、主要政党を評価して10点満点で点数をつけてもらうアンケートをしたとします。自民党X点、公明党Y点、民進党Z点・・・と。
この点数を成分(X,Y,Z・・・)としたベクトルを考えます。ベクトルの成分は何次元あってもかまいません。
そうしてできる回答者一人ひとりのベクトルを総合してできるベクトルは、アンケートに回答した集団全体の政治的傾向を表しています。

ベクトル分析のメソッド

政治的傾向だけではありません。
さまざまな欲求、関心事、テーマごとにベクトルを考えることができます。
ある人のいくつもの性格的傾向に点数をつけ、それを成分にしたベクトルを考えれば、その人の“性格ベクトル”です。それを総合した日本版社会ベクトルは、日本人の国民性に通じるでしょう。
また、洋服の好みにたいする傾向とか、料理にたいする傾向とか、アンケートで質問できるようなことは全て回答を点数化し、各質問項目の点数を成分としてベクトル化できます。
そうしたベクトルをある集団全員について総合すれば、その集団の傾向をつかめることは政治的傾向で述べたとおりです。アンケート調査では、実際にそうしたやり方で分析をおこなっています。
欲求や傾向をベクトルとしてとらえることの優れた点は、さまざまな社会現象の総合と分析を客観的にたやすくできること。
たとえば、“ポケモンGO”に熱中しているAグループとまったく興味を示さないBグループがある場合、両グループの性格ベクトルの成分を比較すれば、どのような性格の人がポケモンGOにはまりやすいかの分析ができます。
欲求=ベクトルの見方は、社会全体の動きから、企業や個人の動きまで、何の指針もなく漫然とながめるのとちがい、起こっている現象を総合したり分析したりすることで、クリアに理解するのに役立ちます。
現実の生活では個人がアンケート調査するなどありえませんが、ベクトルで人や社会を見ることは、社会のしくみを理解しやすくします。

経済の実体は欲求の交換

経済活動には、人々の欲求がストレートに表われています。
商品やサービスの売買、仕事の受発注、いずれもその本質は、ほかの人の欲求をかなえることで対価(お金)を得て、その対価を自分の欲求をかなえるために消費することにあります。
ベクトルでたとえれば、お気に入りの服や話題のサプリメントなどをもとめる消費者の欲求はいわば特定商品へ向けられた購買ベクトル、そのベクトルは特定商品を購入して満たされます。店員のほうは、給料をもらってそのお金でいろいろなベクトルを満たしたいがゆえに、商品を売ろうとする販売ベクトルを持っています。特定の商品を1つ売っただけではその販売ベクトルがすこし満たされるだけ、というイメージになるでしょう。
要するに、私たちがお互いの欲求=ベクトルを満たすために商品やサービスをやり取りするのを総合したものが“経済”です。

欲求が科学技術を発展させてきた

商品やサービス、仕事は、それが相手の欲求をかなえなければ対価を得られないわけで、商品開発やマーケティングとは、つまりは人の欲求をいかにしてかなえるかを考えること。
50年前には影も形もなかったパソコンやスマホ、50年前にあったブラウン管の白黒テレビはいまでは液晶のカラーテレビに変身しました。それは科学技術が自然に進歩したからではなく、欲求の新しい対象、つまり新商品をつくるために人間社会が科学技術を進歩させたのだ、といったほうが正解でしょう。
また、経済学に拡大再生産という言葉がありますが、消費財や生産手段ではなく、欲望(欲求)の拡大再生産といったほうが、本質を言い当てています。
現代は多様な商品やサービスであふれ、万能の交換価値を持つお金によって何でも手に入れられるので、事の本質を見失いがちです。
じつは、システムが複雑になっただけで、欲求をかなえるという点では物々交換で生活していた縄文時代と変わっていません。
ただし、欲求をかなえようとするのは動物と同じですが、コミュニケーションによってかなえなければならないのが、社会に生きる“人”の宿命です。

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社会の舞台裏1/3

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外からシンプルに社会を見る

人生の舞台

仕事や人間関係、お金のこと・・・人生の問題の全ては“社会”のなかで解決すべきことばかりです。社会はまさに人生の舞台。もし、その舞台のしくみを理解していなければ、自分が何を演じているのかさえわからなくなるかもしれません。
「社会は大きくて複雑で難解、社会のしくみなんて知ろうとするだけ無駄」とあきらめては、自らハンディを背負うようなもの。
政治、経済、文化、科学、教育、企業、流通、商品、事件事故・・・細かく見ていけば確かに迷路に入りこみそうですが、社会のなかで生きていくのに、おさえたい基本と原則、ものの見方はあります。
関心を持ちつづけ、あきらめさえしなければ、だれでも社会のしくみが「わかった!」と思うときが何度もおとずれます。そんなときが「目からうろこ」。
わかってしまえば「なんだ、そんな簡単なことだったのか!」というのが相場。でも、わからないうちは、人生の問題が壁のように立ちはだかって途方にくれたりするのです。
とにもかくにも、社会のしくみへGO!

宇宙から社会を見る

社会のしくみをとらえるには、外から社会を眺める、つまり客観視する必要があります。
社会のなかで当たり前に生きる私たちは、普段、“社会”を意識しません。社会のしくみといわれたところで、何から考えたらよいのか見当がつかなくて当然。
そこで、まず考える“対象”とするために、社会の外に視点を移してみましょう。
内側からは見えなかった景色が見えてくるはず。水槽の中の金魚が自分の住んでいる世界を眺めるには、水槽の外に出なければなりません。
現代人が幸いなのは、人間社会をはぐくむ地球を宇宙から眺められるようになったこと。人類は、いまやだれでも映像を通して自分たちの存在を俯瞰できます。
俯瞰しただけで客観視とはいいませんが、視覚的なイメージから受ける強烈なインパクトは、ものの見方を変えるのに役立つでしょう。

150万㎞かなたの社会

下の写真は、地球から太陽に向かって150万㎞の距離から撮影されたもの。

2015年7月16日アメリカ海洋大気庁のDSCOVR衛星撮影
2015年7月16日アメリカ海洋大気庁のDSCOVR衛星撮影

「人間が存在する光景のなかでこれ以上に壮大なものはない!」という映像。
宝石のような地球の手前にはモノトーンの月、まさに生命と物質の象徴です。
いまのところ、地球以外の星々に生命は発見されていません。
果てしない宇宙では、さまざまな物質が一定の法則で変化しつづけているらしいことがわかっているだけ。
地球も、宇宙の物質の法則から生まれて、無限の空間と時間のなかに“ぽつねん”と浮かんでいます。
私たちの社会は、その地球の上で営まれています。

地球生命の異端児

漆黒の宇宙から地球に近づけば、物質だけの世界から一変して、奇跡のような多様性にあふれた生命群が見えてきます。
その奇跡のような生命たちの活動のなかでも、きわだった異質さを見せている生命が、“人”です。
自然環境のなかで生存の闘いをくり広げるだけのほかの生命とちがい、人は建物や機械や道具などの人工物を産みだし、牧畜や農漁業などの食料生産のほか、およそ生存の闘いとは関係なさそうな学問や芸能やらの文化的な活動をおこなっています。
神社の屋根から飛び上がった小鳥をハヤブサが追いかける、その下方では、人々が夏祭りに熱狂する。アリゲーターが小動物を襲う、そのフロリダの湖沼では、巨大なロケットが轟音をあげて青空を上昇していく。

アリゲーターとロケットinフロリダ
アリゲーターとロケットinフロリダ

地上の生命ではハヤブサやアリゲーターの弱肉強食の活動が当たり前。夏祭りに熱狂し、ロケットを打ち上げるのは、地球生命の何億年もの歴史のなかでも、“人”が初めてです。
宇宙から見る“社会”は、人工物に囲まれてほかの生命群とはまったく異質な活動をおこなっている“人の集まり”です。

言葉でつながる生命

人が人工物を産みだし、ほかの生命と異なる活動ができるのは、言葉、つまり“音声言語や文字などの記号”をつかって情報を交換できるからです。
言葉は、最初は単純に物の名前や動きを表すだけだったでしょう。
しかし、時間が経つほど言葉の数が増え、複雑化し、人はほとんどの物事を言葉で表現するようになりました。人のように言葉をつかいこなす動物はほかに見当たりません。
「おはよう」
「朝ごはん何?」
「顔あらった?」
たったこれだけの会話も、ワンちゃんに理解してもらうのは永遠の課題です。
言葉がさらに画期的だったのは、情報交換だけでなく、情報の蓄積も可能にしたこと。
この働きのおかげで、個人が経験したり考えたりした内容を同世代だけでなく、世代を超えて共有できます。
そして、人が増えるほど、膨大な経験と知識が蓄積され、それを共有することで人同士が言葉でつながる世界、“社会”が進化してきたのです。

言葉が創りだした異次元空間

地球上のほかの生命と私たちの決定的なちがいは、共有している情報の内容とその量です。
ほかのほぼ全ての生命は、遺伝子、DNAが持つ体の設計情報を共有するだけですが、人は言葉で表された経験や知識も無尽蔵に共有しています。
しかも、言葉にされた経験や知識は、全てが関係づけられ、複雑で膨大な言葉によるネットワーク空間を作っています。

遺伝子DNAの模式図と図書館の本棚
遺伝子DNAの模式図と図書館の本棚

言葉によるネットワーク空間は、図書館にある数えられないほどの本をイメージするとよいかもしれません。
それらの本のなかの情報は、言葉を通じて結ばれています。たとえば、このサイトには、ほかのサイトにリンクした言葉がありますが、その気になればほとんどの言葉にリンクをはり、ほかのサイトと結べます。
そのような言葉のネットワークは、ひとつの空間や世界として見ることができます。
現代では、インターネット上のサイバースペースにたとえたほうがわかりやすいという人が多いかもしれません。ただし、サイバースペースは、人向けの言葉より、機械向けのプログラミング言語だらけですが。

ただの人の集まりが意味ある社会へ変貌

言葉は物事を表現するだけでなく、さらに、目に見えない、存在もしない、頭のなかでしか理解できない、抽象的な概念も表現するようになりました。
たとえば、”社会”という言葉も抽象的な概念です。
宇宙から見ればただの”人の集まり”にすぎないかもしれませんが、私たちが普段つかう”社会”という言葉はただの人の集まりを意味していません。
頭のなかで“しゃかい”という言葉(音声でも文字でも)をえがいて意味をとらえようとすれば、光のようにもやもやして形にならないものが浮かぶでしょう。
そのもやもや光のようなものが意味のかたまり、“概念”といわれます。
“社会”という意味のかたまり=概念は、“社会”という言葉を中心にしたイメージや感情や言葉のネットワークからできています。いろいろなものがまざって一つのイメージにならないので、もやもや光になったりするわけです。
ネットワークの一部はすぐにとりだせます。
たとえば、社会という言葉から何か一つ言葉を連想してみます。
“ニュース”という言葉を連想する人もいれば、“学校”という言葉を連想する人もいるかもしれません。
さらにニュースや学校からはほかの言葉が連想できることでしょう。同じ人でも、時間がちがえばまったく異なる言葉を連想するかもしれません。
そのように“社会”という言葉(記号)を中心にして広がる言葉と、言葉にともなうイメージや感情のネットワーク全体が、頭のなかにある“社会”です。
じつは、私たちが生きている“社会”は、ただの“人の集まり”ではなく、頭のなかの言葉のネットワークで意味を与えられた社会です。
人と出会ったとき挨拶をするのは、頭のなかの社会では、それが価値あることとみなされているからです。
社会がただの人の集まりであれば、挨拶する必然性はありません。

コミュニケーションイメージ1頭のなかの社会
コミュニケーションイメージ1頭のなかの社会

コミュニケーションは宿命

気がつけば、私たちはいつの間にか人工物に囲まれ、当たり前に言葉をつかった情報交換をしながら、社会的な活動に参加しています。
“言葉をつかった情報交換”とは、個人の生活レベルでいえば“コミュニケーション”です。
コミュニケーションによって進化し、頭のなかに言葉で創られ、意味を与えられている社会。
私たちは生まれた時から、そんな社会の一員として育てられます。
それは、私たちの人生が、人同士のつながりのなかでコミュニケーションをとりつづけなければ成り立たないことを意味しています。

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